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透明人間N   2007.08.04 // 未分類
「僕には『自分』がない」らしい

それは高校2年の時に言われた以来だ。

当時僕は吹奏楽部の部長をしていた。
何か決めなければいけない事があって副部長や会計など他の幹部のみんなを集めて幹部会議をしていた時だ。僕は議題に沿って「これはどうする?」「あれはどうだろう」「うん、そうしよう!」と進めていた。そのうちにある一人に言われた。

「伊藤君の意見はどうなん?」

僕は「・・・」としか反応できなかった。
うろ覚えではあるが、僕は正直その議題に対してもみんなの意見に対しても、特に反対することもなかったし、みんなの出す意見が間違ってないと思ったから、それに賛成するだけでそれを僕の意見のようにしていた。

そのような性格は今でも悲しいことに健在であり、周りが出す意見に特に問題がないと判断すればそれでよしとしてしまう。

でも大人は社会はそれではいけないらしい。
「AとBどっちがいい?」と聞かれたならどちらかを選択しなければいけない。
AもBもいいと思っていてもだ。どちらもいいけど僕ならこっち、みたいな。

もしかするとそれって誰もが簡単にしていることなのかもしれないが、僕はできないかもしれない。

ちょっと前に「カレー」か「ラーメン」どっちが食べたい?とレストランの前で選択を迫られたことがあった、僕はほんんとに「どちらでもいい」という気持ちだった。カレーのあの感じもいいし、ラーメンのすする感じもいい。そんな中でどちらかを選択しろと言われても正直答えることができなかった。結局回りに委ねてしまった。

作詞や作曲する時には正直自分のこだわりもあるし、「こんな風にしたら?」と言われても「いや、それはこうだからこうなんだ」と言えるのに、普段の生活や生き方に関してキャパシティーが広いと言うかこだわりがないと言うか、「『自分』がない」と言われてしまった。

野党に大敗してすさまじい逆風が吹き付ける中、断固として続投する。
駄々をこねる子供みたいだとテレビの前で批判していた自分が恥ずかしくなった。
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